2014年05月03日

憲法改正が求められるわけ

今日は憲法記念日。
憲法施行から67周年を迎えました。

私は、憲法の改正が必要だと訴えています。
いくつかの理由があります。

まず、毎度申し上げていることですが、現憲法の制定に沖縄県民が関与していない以上、憲法の正当性を維持するためにも改正が必要だということ。
現憲法は、昭和21年第90回帝国議会において、大日本帝国憲法を改正するという手続きで成立しました。
この第90回帝国議会はもちろん、これに先立ち憲法草案を審議した第88回、第89回の帝国議会にも沖縄県民の代表は参加していません。
戦後米軍統治下にあった沖縄県民の代表が国会に送られるのは、本土復帰を目前にした昭和45年まで待たねばなりませんでした。
憲法は国家の根本法であることからしても、その制定過程にはすべての国民もしくは国民代表が参加することが必要です。
すべての国民が参加することによって、憲法が正当性の契機をもつので、私は、我が国の憲法は、沖縄県民も参加して、新たに全国民の手で制定されることが必要であると考えています。

それ以外にも、この67年間で日本を巡る事情は大きく変わり、現行憲法はこの状況の変化に対応できなくなっていること。
いくつかの指摘が出来ます。
まず前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」という部分。
我が国が置かれている状況は、終戦直後の昭和21年から時々刻々と変化し、平成の世では大きく違います。米国の東アジアでのパワーが相対的に低下する一方、北朝鮮は核兵器と弾道ミサイルの開発を継続し、中国は急速に軍備を増強して海洋進出を図っている。それ以外にも紛争の契機は様々に存在しており、このような状況に対応することが出来なければ「われらの安全と生存を保持」することなどできません。

次に、緊急事態条項がないこと。
私達は、3.11を体験しました。沖縄も含めて我が国は地震大国であり、政府は南海トラフや首都直下型の大地震への対策を具体的に検討しています。大災害や有事の際に国民の安全を確保するため、一定の基本的人権の制約が発生することから、憲法にその定めをすることが不可欠です。

また、政治の世界ではねじれ国会で決められない政治を経験しました。
予算には衆議院の優越がありますが、予算の半分近くは借金でできており、借金をするためには特例公債法という「法律」を成立させないといけません。この法律が人質となって、決められない政治、動かない政治が続きました。それゆえ、ねじれ国会となった場合にも決められない政治とならないために、59条2項を改正して衆参で異なる議決をした法律は過半数で衆議院で再可決出来るようにすべきです。

時代の進展に応じて憲法の改正は必要なんです。
少なくとも、議論はすべきでしょう。
憲法の条項を具体的に議論することは、今を生きる大人の責任として、今取り組むべき重要な課題だと考えています。

その一方で、憲法改悪阻止と称して憲法に指一本触れさせない、具体的な条項を巡る議論をせず、戦争の足音が聞こえるとか言って不安をあおる、こんな態度では大人としてのつとめを果たしていないと思うのです。

平和は努力して獲得するもの。何かを念仏のように唱えていれば維持できるわけではありません。
逆に、何もしないことではつけいるスキを与えて、平和を維持できなくなるリスクを高めます。

歴史に学び歴史に縛られず、今をしっかりと認識し、将来を見据える。
そんな冷静な態度で憲法改正を議論すべきと思っています。









Posted by miyazakimasahisa at 18:00│Comments(0)
 
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